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よろず屋の猫

序章 その1

序章 
《ファメイ=ニトゥ》

まったくミクラときたら何を考えているのかしら。お父様が病に臥せっている時に、楽団を王宮に呼び込んで宴を開くですって。
「国王の病状回復と、沈みがちな王宮の雰囲気を和らげる為。国王も王宮のこのような雰囲気、お望みにはなりますまい。」なんて、嘘ばっかり。
自分が派手で楽しいことが大好きなだけなくせに。
ま、私は父の側室のあの女が嫌いだから、つい辛辣になっちゃうけどね。
あぁ、でも楽団の女達の衣装は何て素敵。南の遠い国々の衣装と聞く。
旅の楽団は回った先の土地で色々なものを仕入れて売りさばく。今もシルクで作られたエキゾチックな衣装や、カラフルな石をたくさん使ったアクセサリーを中庭に広げて王宮の女達に見せている。
ナーシェがさっきから身体にあてているのは、濃い紫の大きく胸のあたりがくくれたドレス。透け感のある薄い絹が何層にも重なって、動きによって肌を見せたり隠したり、きっと男達の心をドギマギさせるのだろう。
私は淡い桃色のグラディエーションの物を一枚とって自分にあててみる。
「ファーメイ様、あなたには似合いません。」
きっぱりした声でティガシェが言う。
「私を“様”付けで呼ばないでと何度いったら分るの?。」
憤慨する私の言葉はあっさり無視して、
「そういう服はナーシェだからこそ似合うのですよ。ファーメイ様に似合うのはこれです。」
ティガシェが持ち上げて見せたのは北の国の衣装。
首まで隠れる純白のドレスに、白と透明の石やビーズで編んだ花のモチーフが飾られている。
「それは婚礼衣装なんですよ、きっとあなた様に似合いますとも。」と楽団の者が手をすりあわせる。
「これが着られるようにさっさと結婚相手を決めなさい。」とティガシェは私に服を投げて寄越す。
私はティガシェを睨みつける。
王位を継ぐのはお兄様のトーチャウと決まっていたはずなのに、何を思ったか急に父は、私にティガシェ、セムジン、セヤク、ウルムジンの誰かと結婚させて王位を継がせたいと言い出した。
要するに私はお飾りの女王になって、旦那さんに国政をまかせると言う事。
その意志が病床の父の口から発表された時のティガシェの顔を忘れられない。
いつも決してポーカーフェイスを崩さないくせして、一瞬、そうまばたきよりもの短さの中で、彼の瞳が輝いた。
ふざけないで。王位の為に、あなたの野心の為に、結婚してもらうなんてゴメンこうむるわ。
「安心して。もう三人に絞ってるから。あなたは先ず除外よ、ティガシェ。」
「それは結構ですね。では早く一人に決めて、王を安心させてあげることです。」
自分でしかけたことなのに、ティガシェの言葉に私は傷つく。
見ればティガシェはもう私には関心がないらしく、ドレスの中からオレンジ色のものを選び取って、ナーシェに、「これもあなたには似合う。」と薦めている。
私には守護神がついている、それは太陰。
太陰から授けられた二つ名を心の中で唱えれば、太陰は私にその力を貸してくれると言う。でも理想だの清純だのと言われている太陰の性質の何が、力になると言うのだろう。
ナーシェの守護神は天后。男の人を魅了する力に溢れている。
ナーシェの肌のきめ細かさ、豊かな黒い絹の髪、長いまつげで覆われた切れ長の目、、その中心に輝く黒い宝石の瞳。彼女の身体の柔らかな曲線は、衣装で覆っていても隠すことが出来ない。どれも男の人たちの目をうばわずにはいられない。
なんで私の守護神が天后でなかったのだろう。
大好きな、従姉妹というよりも、姉に近い存在のナーシェをちょっと恨めしく思っている自分がイヤになってしまう。



《ヒン=ナーシェ=クトゥ》

「ファーメイ、あなたにはこれが良いと思うわ。これならほら、そんなに胸元も開いてないし、可愛らしいあなたにぴったりよ。」
私は白をベースに咲き乱れる花の様に幾色もの淡色のシルクを使いながら、それでいて一枚のドレスとしてみると真珠の輝きにも似たものをファーメイの身体にあててみる。
隣りでティガシェがチラリと視線をよこす。
まったく、肌を見せて欲しくないのならそう言ってあげればよいものを、あんな言い方をすればファーメイが意固地になるのも当然じゃないの。
もっともティガシェのことはよく分らない。
“ファーメイを護る者”として育てられた彼が、ファーメイを大事に思ってるのは確かだろうけど、それが仕事としてなのか、それ以上の感情があるのかは、何があっても感情を出さない彼の顔からは読み取れない。
ファーメイもファーメイ、適いっこないのは分ってるんだから、ティガシェにイヤミなんか言わなきゃ良いのに。
そう思いながらも、私は妹のような彼女が可哀想になってくる。
ファーメイは国の為の結婚を強いられそうになっている。
私の母は国王の姉、この国のため、異国の王のもとに嫁いだ。ところが政変が起こり、父王とともに処刑されてしまった。私は引き取られ、ファーメイの母に育てられた。
政略結婚なんて真っ平ゴメン。私はそう言える。けれど王女であるファーメイにとっては責務である。
ファーメイが好きなティガシェと結ばれれば良いと思っていたけれど、彼にはそのつもりはなさそうだ。
まったく何だってファーメイは、こんな小難しい男が良いんだろう。
もっと簡単な男にしときなさいよ、と言ってみたくなる。
そう例えば、ファーメイを見つけて子犬の様に嬉しそうに駆け寄ってくるあの男。
いつもはむっつりとしてるくせして、ファーメイの前でだけははにかんだ笑顔を見せる彼。
公陳を守護神に持つセムジン。



《セムジン》
「ファーメイ、それ似合うよ、それを着たファーメイが見たいなぁ。」
実はドレスのことなんか少しも分らないが、ナーシェが選んだと言うそれは、確かにファーメイにピッタリだと思う。ファーメイが持つ内から輝くような清らかさを象徴しているようだ。
けれどファーメイは全く違うことを話題にする。
「ほらセムジンは私を“様”付けで呼んだりしないじゃないの。」
「彼は彼。私は私です。」とティガシェ。
「何の話をしているんだ。」と僕。
「セムジンからも言ってやってよ。私は“様”付きで呼ばれると背中がムズムズするのよ。お母様だって決して私を特別の者と思わぬように、名前で呼びなさいと言ってたじゃないの。それをティガシェったら、“ファーメイ様”“ファーメイ様”って。嫌がらせをしてるんじゃないのかと思っちゃうわよ。」
「まぁ、ファーメイ、あれだ。そう言うのは人それぞれだし。オレはファーメイって呼びたいから呼んでるだけだし。」
怒っている顔も可愛いファーメイにそういったものの、僕はティガシェをチラリと見る。ティガシェはシレっとした顔をして、まだ続けているファーメイの文句を聞き流している。
こいつはいつからファーメイを“様”なんてつけて呼ぶようになったんだろう。
僕とティガシェは、この王宮から東北の高原にある孤児院にいた。二人とも一番古い記憶が既に孤児院の中という、まさに“親の顔も知らない子供”だった。その孤児院は王立で、王族の別荘が近く、王家の者が良く視察に来たりしていた。
僕とティガシェが四つの年の夏、王妃・ケナティーが産まれたばかりの第一王女を胸に抱き、毎日の様に訪れて来た。王妃は庭に大きな傘を広げさせ、その下に椅子を置き、ファーメイを抱いてニコニコと孤児たちが遊ぶのを見ているのだった。孤児たちが赤ん坊に興味を抱き、集まって話しかけたり、触れたりしても、優しく「ありがとうね。」と話しかけ、孤児たちにとびきりの優しい微笑を見せていた。
そんなある日、王妃が僕とティガシェを呼んだ。僕達の名前を聞き、
「セムジンには勾陳、ティガシェには朱雀がついていらっしゃるわね。そしてどうやら神将のお気に入りのようよ。」と何やらチンプンカンプンな事を言うのだ。
「セムジンもティガシェも、その名前の他にもう一つ、名前をもらわなかったかしら。」
僕はびっくりした、なんで王妃様が知っているのだろう。僕にはある記憶が残っている。小さな布団の上に横になっている赤ん坊の自分、そのそばに佇む男。
「お前にもう一つの名前を授けよう。それはお前と私の契約の証。けれどその名はお前の中にのみとどめておくもの。決して他者に明かしてはならない。」と告げたのだ。
それは夢ではなく、確かに記憶なのだった。だからその二つ名は決して人に明かしたことはなかった、そうしてはいけないものだと何故だか知っていた。
見ればティガシェも驚いて口もきけずにいる。と言う事はティガシェも同様の記憶を持っていると言う事か。
「あなた達、私と一緒に王宮に来て欲しいの。そしてお願いがあるの。この子、ファーメイを護る者となってほしいの。神将と契約を結んだものは、きっとこの子を幸せに導く。」
相変わらず王妃の言っていることはさっぱり理解できなかったけれど、王宮に行く!!、なんて魅力的な響きだろう。孤児院は決して悪いところじゃなかったけれど、王宮という魔法の言葉にはかなわない。それにそこにはこの王妃がいるのだ。
そうして僕とティガシェは王宮に引き取られ、王妃の下で“ファーメイを護る者”として育てられ、教育を受けた。王妃は決して僕とティガシェ、そしてしばらく後に両親を失って引き取られたナーシェを差別したりはしなかった。王女である娘、ファーメイと同じように育ててくれた。
よく言っていた。
「ファーメイを王女だからと言って特別扱いしないでね。だから“姫”とか“ファーメイ様”とか呼ばないでちょうだい。ファーメイがあなた達を呼ぶように、あなたたちも“ファーメイ”と名前で呼んでね。」
だからティガシェも昔は様付けで呼んだりはしていなかったのだ。
いつからだろう。その思いとともにトーチャウ様の顔がふいに浮かんだ。
何故、トーチャウ様?。
しかし思い出そうとする意識が破られる。そのトーチャウ様、騰蛇を守護神に持つこの国の第一皇子自身が花を抱えてファーメイの元に来たから。


《トーチャウ=二トゥ》
「この白い花をあなたに。」
私は自分で切り、棘を取った芳しい香りを放つ花束をファーメイに渡す。
「これはシルクロードをずっと西へ行った国の花なんだよ、ファーメイ。」
「ありがとう。お兄様。綺麗、本当に純白なのね、まるで絹みたいな花びら。」
「そして花よりも芳しい美しいいとこ殿には赤を。」
「また、お上手ね、トーチャウ様。ありがとうございます。なんて良い香り。」
「私はお世辞が言えないことは、あなたも良く知っているでしょう、ナーシェ。」
花弁にツンと形の良い鼻を近付けたナーシェに微笑みながら、いや、この真紅はティガシェにこそふさわしいと私は思う。
火の情熱を持ちながらそれを静かに抑えて泰然と立っている。その情熱はしかしどこか暗さをも感じさせる。
ティガシェの危険な部分。彼自身気が付いているのだろうか。
彼ほどの才があったなら、私はもっと“吉”でいられただろうか。
あるいは、とファーメイの横で花のことなんか何も分らんと、顔をしかめているセムジンを見る。
彼ほどの真っ直ぐな心を持っていたならば・・・。
「お兄様の育てるお花は本当に綺麗。何て言うのかな、お花も幸せそうなのよね。大事に育てられてて、ありがとうって感謝してお兄様に美しい姿を見せているって感じよ。」とファーメイが言う。
この妹はいつも私に嬉しいことを言ってくれる。その感受性の細やかさ、優しさが、私を相応以上の者にしたいと望む母の期待に押しつぶされそうな日々を救ってくれていた。
だが、それも今日までか。
「さて、私はこの青い花を母に捧げてこなくては。」と中庭のちょうど対角の位置に立ち、テムボタと共にこちらを見つめひそひそ話をしている母を見やる。
「あら、これ青なのですか?。」とファーメイが無邪気に尋ねる。当然だろう、その花は誰が見ても青みがかった紫にしか見えない、“青“と言うには赤が勝ちすぎている。
「ファーメイ、この花はね、まだ青色のものを作り出すことが出来ないでいるんだよ。園芸家は何としてでも青を作り出そうとしているけど、これ位が限界だ。かの国では青いこの花の名はそのまま不可能・不完全を意味するらしいよ。」
「へぇー、でもお兄様はその不可能に挑戦する気でいるんでしょう。」とファーメイはにっこり微笑む。私の心をいつも暖めていてくれたその笑顔も、今日は哀しみを誘うだけだ。
「では、母上に献上してこようかな。」
青い薔薇、有り得ないことの象徴。
青龍を守護神に持つ私の母上、ミクラ=カチャク=ニトゥに。

【続く】


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